2022/11/07 14:31

昔、

「見たい景色が見えるならどの山を登ってもいい。」
という話をきいた。

その言葉を振り返ると、今の自分が見えた。

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ある山の頂上からの景色が見たくて
その山を登ることにした。

山道は険しかったが、なんとか頂上に辿り着いた。

頂上の景色は素晴らしかった。
険しい道のりだったからこその達成感もあった。

そして、
山を登る前には分からなかった、
低い山、同じくらいの山、
高い山がいくつもあることを知った。

より高い山、そこから見える景色は
その山に登らなければ見ることはできない。
そして、その達成感も同じ。

けれど、

今いる山より低い山で見える景色や達成感は
おそらく想像しうるものである。

同じくらいの山を登るなら、
どのくらいの険しさかどうかは
ある程度予想しうるものである。

ようは

ある山の頂上の景色が見たければ
その山を登ってもよいが
その山より高い山を登ってもよい。
そこからでもその景色は見える。

ということ。

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まあ、一理ある。


キレイな解釈は
より高みを目指せってこと。
そしてより広い世界を見渡せるようになれ
ってことだと思う。

ものすごく下手に解釈すると、
やりたいことのためにはなんでもやれ。
枕営業も辞さない。
という風に聞こえてこないでもない。


ちゃもろ自身にあてはめるならば、
やりたい事としては
「(自身の)音楽を通じて、
 よりたくさんの人と楽しみたい、楽しんでほしい。」
という山。

登り方にはそこまでこだわりはなくて、
例えば、
「100%自分で作詞作曲の歌しか歌わない!」
などとは思っていない。

頂上がどこなのか曖昧ではあるけど、
途中途中で、目指している場所はある。

音楽活動をしている上で
色々と試してみたいし、道中も楽しみたい。
と思っている。

必ずしも
頂上からの景色だけが素晴らしいわけではない。
と思っている。


「(自身の)音楽を通じて、
 よりたくさんの人と楽しみたい、楽しんでほしい。」

これ自体が、
歩き続けて、登り続けている中で見える景色、見たい景色だ。



昔きいた
「見たい景色が見えるならどの山を登ってもいい。」

その言葉を振り返ると、今の自分が見えた。